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1981年 171p 部数は少なそうです。資料用にもいかがでしょうか。
張同禄 (中国工芸美術家) 1 景泰藍図版 本書に収められているもっとも古い景泰藍の実物写真は, 明朝宣徳2年(1927)につくら れた金纒枝の象耳瓶 (図21) である. 花紋は大番蓮を主に,花がほどよく重なりあい、枝 が伸び、蔓が巻きついている。図様は別彫で,釉色は藍色素地が多く,彩りは鮮やかであ る。当時の工芸がほぼ成熟の域に達したことが知られる。これは中国でこれまで発見され た最古の景泰藍文物の一つである. 景泰藍は「系琺瑯」ともよばれる。髪の毛のように偏平で細い銅糸をさまざまな花紋 図案にたり編んだりして、造型の異なる銅胎に貼りつける。そして花紋の隙間に色釉を 流し,焼成すると,華美な器物ができあがる。これは中国独特の伝統工芸品で, 明朝の景 泰年間 (1450~56年)に最盛期を迎えた. 技芸が精妙華麗であること以外に,作品の量も質 もこれまでになく繁栄したことから,「景泰藍」と名付けられた. 「景泰」は明代宗皇帝朱 この種の工芸品が宝石藍や孔雀藍といった藍色の釉料を 都鈺在位中の年号で,「藍」は, 多く使うことからきている。のち,どの時代につくられたものも, 「景泰藍」と呼ばれる ようになった. 景泰藍の工芸技巧からみて, 宣徳年間のものにしろ, 景泰年間のものにしろ、いずれも 草創の作ではない.ここで,その歴史的な源流を遡ってみよう. 景泰藍の釉料は琺瑯のそれと同じで、作り方も外来の影響がないでもないが,全工芸過 程や特色から見て,外国一般の琺瑯製品と同一視することは考えられない. 工芸過程ある いは造型図案からして, 景泰藍はいずれも中国に古くから伝わる伝統工芸を受け継いでい るからで、外国の琺瑯よりもさらに悠久な歴史がある. 解放後,新中国の考古学者の発見した春秋時代(紀元前770~476年) の越王勾践の剣の柄に は藍色の瑠璃装飾があった. 1950年から52年にかけ, 中国科学院考古研究所が河南省輝県 から発掘した出土文物にも、戦国時代(紀元前457~221年)の青銅器があり,それには金メッ キや銀メッキ系紋の車轅装飾や玉石と瑠璃の嵌まった帯金が施されている。 1968年, 中国 河北省満城県の西漢 (紀元前206~23年) の中山靖王劉勝墓出土の金メッキ銅壺も一面に藍色 の瑠璃が施されており、のちの景泰藍によく似ている.実をいうと, 瑠璃と磁器の釉料は, 化学成分では琺瑯同様, 珪酸類に属する. 日本の正倉院には中国唐朝 (618~907年) の銅鏡 が所蔵されているが, 大村西崖の著わした 『中国美術史』 はこの鏡に言及して, 「彩釉な りしもの、鋳り彫りし花紋を填め,而して窯に化す」といっている. この製作過程はのち の景泰藍とほぼ同じだが、ただもとの鋳り彫り花紋がのちの授糸花紋に発展しただけのこ とである. 唐朝のこの種の古代工芸は宋朝 (960~1127年)と, 元朝 (1271~1368年) を経てしだ いにその技術を高めていった. 元末明初に, 外国の琺瑯職人が東方に流浪してきて 中国 に入った。かれらの手なる景泰藍の造型と図案には、中国の民族的特色が十分に具現され ている.例えば, 炉,薫, 壺および??, 茶卓の表板, 壁飾,衝立などは,いずれも中国 の古文物あるいは民族的な必需品を真似ている. 景泰藍の花紋、図案は中国工芸美術の精
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