“商品説明の『続きを見る』もしくは携帯端末アプリの『もっと見る』から追加画像をご覧ください” 商品説明 品名 黄檗 木庵 即非 賛 狩野探幽 画 双福 『寒山拾得図』 紙本 淡彩 掛軸 狩野栄信識箱 模写 寸法 軸・・・縦183.5cm 横37cm 内・・・縦107cm 横31cm ※寸法に若干の誤差が生じます。ご承知下さい。 状態 本紙:シワ、ヤケ 表具:シミ、シワ、ヤケ 箱:桟2ヶ所欠 略歴 木庵1611~1684 渡来禅僧 江戸前期の黄檗宗の渡来僧ではじめ中国の黄檗山で隠元の下で修行。渡来した隠元に招かれて1655年に渡来し61年に山城の黄檗山に参禅。渡来後も隠元の下で研鑽を示しその法嗣となり氏黄檗山2世住持となり4代将軍家綱の庇護を受け江戸紫雲山瑞聖寺を初め10余寺を開創。また、法嗣数は50人を超え、参禅の門下は3000人を越すとも言われており歴代黄檗僧の中でも群を抜いた存在であった。書にも秀で隠元、即非と共に黄檗三筆と称される。 即非書家・僧 1616~1671 本名:俗姓は林氏 字:即非 号:法号に如一 明国福建省/隠元隆埼 18歳の頃、黄檗山(明国福州)の隠元の下で出家得度し、その教えを受け継ぐ。隠元が日本に渡来後、1657年に隠元に招かれて長崎に渡来。その後、長崎崇福寺の住職を勤め、63年に宇治万福寺に参禅、木菴とともに同寺首座を一年間務め、翌年長崎に帰国しているがその帰路に、豊前国小倉藩主小笠原忠真に招かれ、1665年福聚寺を創建・開山している。 狩野探幽1602~1674 狩野永徳の子、狩野孝信の長男として生まれる。画を孝信及び孝信の没後は狩野興以に学び幼少時より類稀なる才を発揮し11歳の頃に駿府にて徳川家康に謁見、その後15歳にして御用絵師として仕え二条城、名古屋城、江戸城など幕府建立の城郭や大徳寺、妙心寺などの有力寺院の障壁画・襖画を多数手掛け、また既存古画への研鑽も深くそれらを縮小して模写(「探幽縮図」として残る) するなど狩野派中興の祖といわれており画家としての最高位である法印に叙されている。また、狩野宗家とは分家して鍛冶屋橋狩野派を創始。画業のほかにも小堀遠州に師事して大師流の茶道や書、和歌にも秀でた。 狩野伊川院1775~1828 江戸後期の画家。木挽町狩野家八代目。養川院惟信の子。栄信は名、玄賞斎と号する。狩野派近世の名手で、のち法印に進み、伊川院と称した。大和絵や中国画も学び、幕府御用絵師として江戸城内の障壁画や朝鮮通信使への贈答用屏風等の御用も務めた。 備考 本品は印刷ではなく肉筆です。 補足 送料 ■ゆうパック100サイズ(詳細は以下の〈配送方法〉を参照して下さい) ※形状・性質が異なるものは同梱をお断りさせていただく場合がございます。同梱の場合、サイズ変更により表示される送料の金額を修正させていただく場合がございます。予めご了承いただきますようお願い致します。 ※2023年10月より日本郵便の郵便価格改定により、配送料を改訂させていただきます。何卒ご理解の程よろしくお願い致します。
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